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車/バイク
おはようございます。
今日は、昨日納車させていただいた、トヨタマークX、フロント3WAY+サブウーファーシステムを御紹介します。
まずはいつものようにシステム図から。
ヘッドユニットはアルパインのナビ、他の音楽ソースユニットは装着せず、ナビ付属の音楽ソースだけを、直接デジタルプロセッサーに入力し、再生させるシステムです。
ある意味硬派なシステムと言えるかもしれません。デジタルOUTの付いた音楽ソースをプロセッサーにダイレクト入力する訳ではなく、しかもこの型のアルパインナビはRCA出力が無い為、プロセッサーにはスピーカーラインから入力されます。
それでいて、ハイエンドに準ずる音を出さなければなりません。カーオーディオ専門店の腕の見せ所です。
ドア防振前のドア形状です。
やはりコストダウン化の波がマークXにも来ている事を感じざるを得ません。
エモーションのドア防振は、複合防振です。
ドア鉄板の共振音が違う事を見越して、異なる防振材を用いて全般的に共振音を消去します。
サブウーファーエンクロージャーにも工夫が有ります。
出来るだけ、共振音を鉄板に伝えない為、特殊なインシュレーターを使用します。
インシュレーターが入り込む場所にはカーペットに穴を開け、固定効率を上げます。
サブウーファーとエンクロージャーの装着状態です。
一個当たり20Lの容積を取っていますが、内部には鬼の補強と空気の動きを均一化させる加工が入っていますので、実質13L程度、小容積にする事によって、低音の締まり感、つまり“ダンピング”が増し、タイトでリズミカルな低音となります。
小容積故に不足する超低音は、ウーファーを二個にすることで補います。
詳しくは、以前書いたブログを御参考ください。
http://emolog.jugem.jp/?eid=613&fb_action_ids=480335795406817&fb_action_types=og.likes&fb_source=aggregation&fb_aggregation_id=288381481237582
Aピラーの裏側です。
フォーカルユートピアBeのミッドレンジはコーン型ですので、バックチャンバーが必要です。
しかしマークXのAピラーパネルと鉄板の間はほとんど隙間が無い為、既存のバックチャンバーを入れると飛び出した形状となり、かっこ悪い上視界も悪くなります。そこで、FRP加工でバックチャンバーを製作しています。
また、Aピラーにミッドレンジを入れる時の必修事項は、このように防振処理を施す事です。
Aピラーにミッドレンジを入れた時、中域にもの凄くうるさいピークを感じた為、ドアに移設したと言う経験をお持ちの方はいらっしゃいませんか?
そのピークはミッドレンジそのものから発せられるピークではなく、Aピラーパネルが共振する事によって生じたピークです。
このピークはダイポルギーなどの塗装型防振材で消す事が出来ます。
Aピラーの装着状態(運転席側)
Aピラーの装着状態(助手席側)
バックチャンバーが有るとは思えないほど、すっきりと取り付けされています。
ドアバッフルはオリジナルのイメージを損なわないように、それでいて強固且つ適度な重量を持たせて製作されています。
また、インナーバッフルの鉄板への装着、及び、アウターバッフルとインナーバッフルの結合部は、“点接触”で取り付けられており、スピーカーの振動を可能な限りドアへ伝えないという工夫が施されています。
運転席から助手席側のドアバッフルを見た状態です。
音質は、フォーカル特有の“美音”を引き立たせ、ともすると音が薄く感じてしまう事もあるフォーカルに、カロッツェリアPRS-D700パワーアンプによる駆動で音の厚みとスピード感を与え、ロックフォードP3D2−10サブウーファーで重厚な低音と、豊かな余韻、ホールトーンを再現させました。
ナビのスピーカーレベルから信号を取ったとは思えない鳴りっぷりだったと思います。
さて、急に寒くなりましたね。
どなた様も、体調管理には十分お気を付け下さい。
福岡は、冬になると大陸からの寒波による強風が吹く日が多い地域です。
(今回の寒波(カンパ)はいくら払ったらいいっちゃろうか?←これは冬に私が良く言うジョークです)
このところの強風は、冬の到来を感じさせるには十分なほど冷たい風でした。
寒くなると毎年のように思い出される子供の頃の思い出が有ります。
お暇な方だけお読みください。
私が小学校5年生の頃、国語の授業で、「南極点に輝く」というお話が有りました。
これは、20世紀の初頭に、人類初の南極点到達をノルウェーのロアール・アムンセンと競い合った、イギリス人のロバート・スコットとその探検隊の物語です。
スコットは、軍人でありながら科学者でもあり、南極観測や生物のデーター収集も目的に加えていたのに対し、アムンセンは生粋の探検家。一直線に南極点だけを目指そうとしていました。
勝負の結果は、約1ヶ月の差でアムンセンの勝ち、人類の南極点到達一番乗りの栄誉は彼のものとなりました。
しかも、アムンセン隊は全員無事生還したのに対し、スコット隊は失意の中全員遭難、全滅の憂き目を見ています。
しかしスコットの残した南極の観測データーは、人類のその後の南極研究に多大な貢献を及ぼした為、評価はその悲劇性も相まってスコットの方が圧倒的に高くなりました。
詳しくは下記のリンクをお読みください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88
さて、スコット隊の遺体と、彼らの残した膨大な資料は、約6カ月後に発見されたのですが、スコットは遭難し死にいたるまでを日記に詳細に記していました。それを物語にしたのが、私が小学校5年生当時の国語の教科書に載っていた「南極点に輝く」です。
この授業を聴いた時、クラスの男子生徒約10名ほどが、激しく感動しました。
この10名には共通した特徴があり、先ず馬鹿である事、元気が良すぎる事、普段は授業中ボーっとしているのに、冒険談や活劇談となると目の色を変えて聴き入ると言う特長です。(因みにその中に私もいました)
中には目に涙をためて肩を震わせて感動しているものまでおり(因みにこれは私ではありませんが)、この馬鹿な子供たちにこの物語が与えた影響の大きさを推し量る事が出来ます。
それら10名の馬鹿な男の子たちを感動させたのは、スコット隊長本人もさることながら、凍傷がひどく、パーティーに迷惑をかけないよう、自殺しようとしたエドガー・エヴァンスに深く感動したのです。
エヴァンスは、遭難後、最も凍傷が激しく、隊に付いて行く事が出来なかった為、ソリに乗せられて運ばれていました。
ある晩、(晩と言っても夏の南極に夜はない)エヴァンスはテントから抜けだしました。
翌朝、エヴァンスがいない事に気付いたパーティーのメンバーは、必死で捜索します。そしてテントから数キロ離れた所で、防寒着を全て脱ぎ捨て、雪の中にうずくまるエヴァンスを発見しました。彼は隊の迷惑にならないよう、自ら死を選んだのです。エヴァンスはその日の夕刻に亡くなりました。
10名ほどの男子小学生は、このエヴァンスの行為をひどく悲しんでいたのです。
しばらくすると、クラスの中で、「エヴァンス根性」と言うものが流行りはじめました。
即ち、どんなに寒かろうと、薄着で通すと言う、エヴァンス本来の趣旨から外れた訳のわからない流行です。如何にも馬鹿で元気な小学生男子が考えそうな事です(因みに最初に言い出したのは私でした)
時は12月。
福岡特有の冷たい強風が吹き付ける中、約10名の男子児童は絶対に長ズボンをはかず、走って通学し体を温めていました。
そのうち、一人の子が半そでで学校に来るようになると、他の子も負けじと半そでになります。その競争はさらにエスカレートし、遂にランニングシャツ一枚に半ズボンで通学する者もあらわれました(これも私です)。
更に「エヴァンス根性の会」なる、怪しいサークルを発足させ、共感者を増やそうと企みます。
寒さに負けないということから、どこまで寒さに耐えられるかと言うところに発展したこの競争でしたが、福岡の冬の気温では寒くても-1°くらいまでなので限界があります。
そこで、外で上半身裸になったり、消火ホースが収納してある鉄の扉に裸の胸や背中をひっ付けてアピールする馬鹿まで現われました。しかも休み時間は教室の窓を全開して裸になり、メンバー以外の生徒にも被害を及ぼすまでに至ります。
そうこうするうち、メンバーの中で体の弱いものから徐々に風邪をひき始めます。でも休んだらエヴァンス根性失格者の烙印を押されてしまう為、少々の熱くらいなら意地でも学校へ来ます。すると遂に、メンバーの一人がインフルエンザにらかんしました。
日頃から寒くても教室の窓を開けたりしていた為、メンバー以外のクラスメイトも風邪気味の子が多い中、インフルエンザに罹っても出席するアホのせいで、クラス全員が遭難、全滅、つまり学級閉鎖となった訳です。
正しく、スコット隊の悲劇を踏襲する結果となりました。エヴァンス根性の会会員以外の子にとっては、恐ろしく迷惑なことだったでしょう。スコット隊と異なっていたのは、何の貢献にもならず、ひたすら迷惑をかけたと言うだけです。
福岡ではまだ本格的な流行前のインフルエンザで、学級閉鎖となった事態を重く見た学校側は、早速調査を開始、「エヴァンス根性の会」の実態が明るみに出ます。
その後メンバーに訪れた更なる悲劇は、皆様のご想像にお任せします。
(校長室で正座させられて小一時間説教されました)
エモ親方